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チョコレートとは?


「チョコレート」の定義って知ってますか?
小学生の頃、ジャポニカ学習帳の表紙裏のウンチクか何かで読んだ記憶から、「カカオマス」という豆から出来てるって事だけは知っているんですが。。。
これも調べてみました。

http://ja.wikipedia.org/wiki/チョコレート
また抜粋していきます。


チョコレート(英語:chocolate、猪口冷糖(当て字))は、カカオの種子を発酵・焙煎したカカオマスを主原料とし、これに砂糖、ココアバター、粉乳等を混ぜて練り固めた食品である。原料コスト削減、加工性や風味の向上、栄養強化の目的で、近年の工業生産チョコレートではこれらに加え、香料、糖質、植物油脂、甘味料等、様々な原料を配合することも多い。

「猪口冷糖(当て字)」って。誰が考えたんだろ。なんとなく意味も通る(ような気がする)し。ちょっと暴走族が壁に書きそうな熟語だけど。


イギリス人が固形のチョコレートを考案するまでは、チョコレートといえば飲み物を意味した。日本語では、昔は液体のものをホット・チョコレートと呼び区別したが、ココアと呼ぶことも多い。しかし近年またホットチョコレートの呼び名が増えている。これは、英語圏で「ホットチョコレート」と呼ばれることが多いからであろう(マクドナルドでも「ホットチョコレート」と称している)。[要出典]他の言語では、飲み物のチョコレートと固形のチョコレートを区別しないものもある(フランス語のショコラ、スペイン語のチョコラーテ[要出典]など)。 なお日本国内では昨今、ココア粉末を使用した物をココア、生チョコレートの水分を多くした物をチョコレートドリンクと称し分ける傾向があるが、これらチョコレート飲料の名称について厳密な定義は今のところない。

やっぱり「ホットチョコレート=ココア」の認識は合っているんですね。別モノなのか同じなのか、ちゃんと知らなかった。


歴史

紀元前2000年
紀元前2000年ごろから、中央アメリカ及びメキシコ南部ではカカオが栽培されていた。15世紀までには、カカオはその土地では貨幣として流通したほど重要視された。当時の中央アメリカでは、カカオは粉にしてトウモロコシの粉や唐辛子などを入れ、水や湯に溶かして飲まれていた。主に嗜好品として、また、薬用、強壮目的で飲まれた[1]。

カカオ自体の効能が先にわかってたんですね。


16世紀 -(アメリカ大陸の発見)
クリストファー・コロンブスが中央アメリカ島部に到達すると、それを通じ、スペインにカカオがもたらされた。コロンブスの息子によれば、最初にチョコレート(カカオの実)を見たヨーロッパ人はコロンブスで、1502年のコロンブス最後の航海のときであった。ただし、飲んだという記述はない。ヨーロッパ人との接触当初、中央アメリカ人たちはココアのことをカカワトル[要出典]と呼んだ。1579年までに、彼らは同じものをショコラテと呼ぶようになり、これがチョコレートの語源とされるが、何故カカワトルがショコラテになったのかは不明であり、従って語源も不明である。スペイン語をはじめとしたヨーロッパ諸言語でcaca(kaka)が排泄物を表す幼児語であるため、排泄物を連想されるカカという語感の音を避けようとしたせいかも知れない。 苦い飲料だったチョコレートに砂糖を加える発明は、16世紀にメキシコに渡った宣教師によって考案された。

アメリカか。なんとなく「大航海時代」ってゲームの音楽が頭をよぎります。


中世ヨーロッパ
16世紀に入り中央アメリカがスペインに征服されると、カカオが手に入りやすくなり、スペイン一般庶民もチョコレートドリンクを飲むようになった。 チョコレートは当初、ヨーロッパではスペインのみで普及した。しかし、フランスのルイ13世がスペイン王女アンヌ・ドートリッシュ(スペイン名アナ)と結婚したとき、チョコレートを好むアンヌが嫁入りのときも持参したので、フランスにチョコレートがもたらされることになった。次のルイ14世も1661年、チョコレート好きのスペイン王女マリー・テレーズ(マリア・テレサ)と結婚し、フランスでは上流階級からチョコレートが広まった。マリアはまた、チョコレート道具一式と、チョコレート専門のコック(後にいうショコラティエ)を連れて嫁入りした。イギリスでは1657年に、チョコレートショップと呼ばれるチョコレートを飲ませる店が開店した。

ショコラティエを連れて嫁入り。すごいなあ。


近代ヨーロッパ
1828年、オランダのバンホーテンがチョコレートを粉末にする特許を取得。これは同時に、カカオからカカオバターを効率的に取る方法でもあった。それまでのチョコレートは濃密で、水なしでは飲めないものだったが、これにより口当たりがよくなり普及が進んだ。 1847年、イギリスのフライ社が食べるチョコレートを発売。これが最初の固形チョコレートとされる。しかしこれはまだ苦いもので、万人に普及するにはもう少し工夫が必要であった。 1876年、スイスのロウソク職人ダニエル・ピーターがミルクチョコレート(スウィートチョコレートに粉乳を加えたもの)を発明した。

ヨーロッパ万歳!ロウソク職人がチョコを発明、って凄く道理にかなっている気がする。


この後、ざらざらした食感をなめらかにする工夫がされ、現在の固形チョコレートの原型が作られた。

その工夫した人エラい!!!


日本での歴史
日本のチョコレートに関する記述は、18世紀の長崎の遊女がオランダ人から貰った物を記したリストの中に「しよくらあと」として登場するのが最初である。1873年の岩倉使節団がフランス訪問中にチョコレート工場を見学したという記録がある。

「しよくらあと」いいですね。こういう「聞いたまま日本語にした外来語」って何か好きですね。「あいすくりん」とか。


戦前・戦中
日本のチョコレート製造は、1878年に「米津?月堂」が製造したのが最初である。ただしこれは、輸入した原料チョコレートを加工したものであった。米津?月堂は、新聞に掲載された日本初のチョコレートの広告には貯古齢糖と漢字を当てていた。カカオ豆からの一貫生産は、1918年、森永製菓によって開始された。 戦争の影響により、日本では1940年までにカカオの輸入は止まり、風味がカカオにやや類似し果糖の原料でもあった菊芋と百合根(ユリの鱗茎)の脂肪分、砂糖の代わりにグルコース(ブドウ糖)を原料にした代用チョコレート(通称:グルチョコレート)が考案された。

菊芋と百合根!代用チョコレート!


戦後・現在
1945年、日本が太平洋戦争に敗れると、アメリカの進駐軍を通じて大量のチョコレートが日本にもたらされた。 戦後の日本では、安価なものから高価なものまでさまざまなチョコレート菓子が販売されるようになった。特に1960年にカカオ豆の輸入が自由化され、続いて1971年にはチョコレート製品の輸入が自由化されたことで、様々な種類のチョコレートが流通するようになった。 1980年代から1990年代にかけてはトリュフなどの小粒な形状をした高級チョコレートが一般的に出回るようになった。2000年代に入るとさらに高級かつ洗練されたチョコレート菓子が流行した。 2004年頃には東京都内にヨーロッパ各国の高級チョコレート店が多数出店し、中には1粒400円から1000円という超高級チョコレートを取り扱う店も現れた。 [編集]

戦後の米軍によるチョコレートは有名ですよね。高級チョコの流行って、ごく最近のことだったんですね。


チョコレートの日

バレンタインデーにチョコレートを贈る風習は、19世紀のイギリスのチョコレート会社キャドバリー社によって始められた。 日本チョコレート・ココア協会が、日本でバレンタインデーにチョコレートを贈るようになったことをきっかけに「チョコレートの日」として記念日を制定し、1970年代に定着した。 また、バレンタインデーに、女性から男性にチョコレートを渡すという習慣は日本独自のものであるといわれるが、英語版ウィキペディアの(en:chocolate)の項にバレンタインデーへのリンクがあることからも分かるように、チョコレートを贈ること自体は特に日本だけの風習ではない。ただし、欧米ではバレンタインデーに男性から女性に贈り物をするのが普通であり、必ず女性から男性へチョコレートが贈られる日本の習慣は欧米とは逆となっている。 ちなみに男性が女性に渡す日(お返し)はホワイトデーであるが、この習慣は世界的にはバレンタインデーほど普及していない。

一応バレンタインにチョコを贈るの自体は日本以外の国でもやってるんですね。性別の方向性が逆なだけで。まあ、レディファ〜ストなお国柄じゃないし、気遣い気配りは女性の役目〜みたいな風土で続いていましたから、その辺を考えると、現代日本におけるバレンタインデーがこんな感じなのも理解できますね。良い悪いは置いておき。

歴史についての項目がダンゼン面白かったので、歴史面ばかり紹介しましたが、成分による分類とかの項目もなかなか興味深い感じでした。是非、この機会に読んでみてください。



 
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